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■ マディソン郡の橋(ロバート・ジェームス・ウォラー)文藝春秋

読む人、それぞれに人生。読む人、それぞれの感動。感動の輪ひろがる愛の古典。

「日に日に無神経になっていくこの世界で、わたしたちは瘡蓋だらけの感受性の殻に閉じこもって暮らしている。どこまでが大いなる情熱で、どこからつまらない感傷がはじまるのか、わたしにはよくわからない」
「わたしたちは大恋愛であるかもしれないものをせせら笑い、純粋な深い感情に安易に感傷のレッテルを貼っていまいがちだ。フランチェスカとロバートの物語を理解するのは、そのために必要なやさしさを持つのは、わたしたちには至難の業なのである」とウォラーは言う。
「人と人との関わりがどんどん薄っぺらになり、愛が便宣的なものになりかけているこの世界」にも、まだこういう話が成立する余地があると信じられただだろうか?自分にも同じような四日間が―、一日が、一週間が―、あったのだという人もいるかもしれない。