ミラーの自伝的な小説といては、「北回帰線」のほうが世評にのぼることが多いが、純粋に文学的な見地から評価した場合、「南回帰線」のほうがはるかに完成度が高いだろう。異常なまでに強い精神的な凝集力と詩的想像力とを、きわめて個性豊かな芸術作品に結晶させる創作技法、言語表現を自由自在に駆使して絢爛たる絵画的イメージや音楽的リズムを生み出すミラーの魔術師的なテクニックは、他のいかなる作品にもまして「南回帰線」において遺憾なく発揮されている。 「南回帰線」は外面的な事実の記録ではない。自己解放と自己実現そのものである「南回帰線」を読む場合には、外面的な客観的なイメージを期待するのではなく、ミラーの魂とともに混沌をくぐりぬけ、根源的な人間に肉薄する心構えが必要である。
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